移動水族館発足のキッカケ

MAブログ

なぜ移動水族館?

私と面識の無い方、つい最近このサイトにたどり着いたばかりの方には特別違和感は無いかもしれませんが、私を少しでも知る方は、このサイトに突如として現れた文字列に違和感を覚えるでしょう。

移動水族館ってなんだ…?

昨年赤羽で行った移動水族館第一弾。

主に大学〜水族館時代に知り合った方々にも、私が「移動水族館をやりたい!それが目標なんだ!」と告白したことは殆どありません。なので、私が突然思い出したかのように移動水族館を始めたように見えると思います。すみません、言ってなかっただけでずっと内に秘めていた目標でした。そこに至るまでに具体的に何があったのかを、私目線の物語で綴ります。直接移動水族館の運営には関係ないため、移動水族館の項目ではなく私個人のブログとして記します。

先輩からのお誘い

時は大学時代。とある大学OBの先輩が私に「いつか、移動水族館をやりたいんだ」と語ったことがはじまりでした。その時私は大学にあるミニ水族館のリーダーを務めており、そのOBの先輩から直接魚を頂いたり、魚採集の修行を受けたりしてました。そんな先輩の夢が移動水族館であり、「小さな自然を子供たちに届けたい」と語っていたのです。いつからか、「時が来たらみのりくんも誘いたい」と言っていただけるようになりました。6,7年以上前にお誘いをいただき、漠然とそのことが頭に残っていました。

心の支え

大学卒業後に私は約3年間水族館界隈に勤務しますが、そこで度重なる適応障害・鬱病症状に悩まされ、水族館を離れてしまいます(現在は完治済。いずれ詳細記事を書こうと思います)。私は元々水族館就職が夢だったため、水族館を離れてしまうことに相当悩みました。水族館から逃げてしまったこと、内心水族館を嫌いになりかけている自分もいること、でもそんな水族館を好きでいたい自分もいること。

水族館が好きなのか、嫌いなのか、自分が何をしたいのか。
わからなくなっていました(この写真の園館と本記事の話は一切関係ありません)。

水族館をやっていて何より楽しかったのは、自分で作りあげた展示をお客様が見てくれることです。そしてその自然環境や生き物を好きになってくれることです。大学のミニ水族館をやっていたときのモチベも全てこれでした。それらを通して、少しでも自然や生き物のためになることをしたい。だから、いつの間にか水族館に就くことが目標になっていました。
でも、離れてしまいました。1回ならまだしも、2回も鬱病症状に苛まれ、ついにはドクターストップまで出る始末。もう何をしてもダメでした。離れざるを得ませんでした。それでも、水族館と完全に決別する気にはなれなかったのです。心の中で漠然と「いつか移動水族館をはじめて、そこでまたやり直す。まだ諦めたくない。その時までに力を蓄えたい。」と思っていました。精神的にも肉体的にもドン底まで落ちかけましたが、両親や友人達の支えもあり、なんとか這い上がれました。心の中で漠然と持っていた「移動水族館をやる」という目標、そして周りの方々の助け。こうした心の支えにより、なんとか堕ちきることなく崖上まで戻ってくることができました。どれだけ鬱になっても「いつか移動水族館で普及活動をやるから、ここでへこたれていられない、もっと経験を積み、勉強しなきゃいけない」という想いだけは消えなかったのです。

力をつける

崖上まで這い上がり、新たに別職種で仕事を始め、ようやくスタート地点まで帰って来れました。そこで私は考えました。「いまは一旦普通の職種で働こう。そしてお金を貯めて、そのお金で本を読んだり、フィールドワークをしよう。力をつけよう。その経験をいつか普及活動に、移動水族館に活かそう」と。
そう決意して約3年経ち、現在に至ります。私のXやnoteを見て、なぜ水族館を辞めたのにあそこまで水族館ネタに拘っていたのか。たくさん考察したり、自分の中の水族館像を作り上げようとしていたのか。フィールドワークをしまくって、その大切さを話していたか。理由はこれです。水族館を辞めても未練タラタラで、いつか自分で移動水族館をやってやる。ここ数年のこれまでの行為は、全てそこに繋がっていたのだと思います。

意外な道筋

上記の過程で、私は自分でも意外だった、ある特技に気がつきます。文章の読み書きです。そりゃあ、プロの小説家や作家、ジャーナリストさんなんかには劣ります。しかし、かつて活字が苦手だった(だと思っていた)私は、自分で思っているよりもずっと本が読めて、またそれをアウトプットして文章を書くことができたのです。さらに、それを継続することができたのです。今でもお世話になっている水産系Webメディア「サカナト」。1年間で約60記事ほど書き上げることができました。また、その間に書き上げた小笠原諸島の旅レポートも沢山の方に高評価をいただきました(小笠原レポートはこちら)。

小笠原レポート表紙。自分で言うのもなんですが、結構読み応えあると思うので、是非ともご一読ください。

ついに立ち上げ

2024年夏頃、ついに例のOBの先輩から連絡が来ます。某所にて行われるお祭りで、移動水族館を出店してほしいという依頼が来ているから、ぜひみのりくんにも手伝ってほしいと。先輩はイベント団体や漁師さんとの伝手が深く、私が大学のミニ水族館を運営していた時からその恩恵を受けておりました。ミニ水族館の一員として、他所で行われている移動水族館をお手伝いしたりもしました。先輩独自の深い伝手やご縁により、先輩へ直接移動水族館の依頼が舞い込んでくるのです。
さらに先輩は、この活動を機に移動水族館組織を立ち上げようと提案してきました。ついに来た。「あぁ、余は、この瞬間のために生まれて来たのだ……!」とハンターハンターのメルエムのような気持ちになりました。いや、それじゃ死んじゃうからだめだ()

そして今

ついに立ち上げた移動水族館組織。ロゴも作りました。
MobilisのM、AquariumのAを波のようなデザインで作ったつもり・・・です。

こうして大きく遠回りをし、ようやく今に至ります。たくさんのフィールドワークを経験し、知識をつけ、新しいことを始め、そして今です。これまでの行為全てに意味があったと、強く思います。

この経緯があっての、移動水族館です。このサイトで突然移動水族館を始めると聞いて驚かれた方もいるかと思いますが、私目線でお話できる移動水族館開始のキッカケは以上になります。私をメンバーに誘ってくださった先輩には先輩なりのドラマや葛藤が沢山あったかと思いますが、私がそれを勝手に記すわけにはいかないので、今回はここまでで。未熟者ですが、そんな移動水族館Mobilis Aquariumを今後応援していただけたら幸いです。

ありがとうございました。

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